手を振る子

 島根の山の一画を所有している。面積は10000平方メートル位だったから一辺100mの正方形の面積に相当。道路工事で県に3000平方メートル位売ったので残りの広さは大したこと無い。県には1平方メートル100円で売ったので山なんてこれくらいでは、持っていても財産にもならない。財産にはならないが、先祖の墓があるので粗末には出来ない。この墓はダム建設で私の生まれた家が水没する時に山に移転したものである。私が小学生前か、1年生位の時に生家に行った時、古い墓を人夫さんたちが掘り起こして頭蓋骨などが山積みされていたのを覚えている。当時は土葬だったらしく、人夫さんたちが『櫛が出たぞ』とか、言っていた。その遺骨を生家の背面の山に移したのである。墓石は私の祖父が手作りしたのだろうが、一番古いのは没年が文久二年と記してある。その墓石も割れたり、傾いたりし始めているので、どうにかしないといけない。移転の為に古い墓を掘り起こしている時に『前田のクリケット』を買ってもらって食べてたような。つまらないことを覚えているものである。よほど美味しかったのだろう。今でも好きだが。

 島根に行くときには、山口の小郡から国道9号線を走ることが多い。その国道9号線沿いの決まった場所で手を振っている少年がいる。その少年に気が付いたのは、もう4〜5年くらい前か。結構な頻度で見かけるので、少年はほとんど毎日、国道9号を走る車に向かって手を振り続けているんだろうと思う。

 この1月2日も島根の山に杉を間引きに行った。この杉は私達が炭鉱に出てくる時に祖父達が植林したものである。今から47〜48年前の話である。植林後、全く手入れしていないので、山は竹に侵食され始めていた。竹は日光を浴びようと杉よりも伸びて日を浴びる。その為、杉は段々弱ってくる。それに気が付いて、1〜2年前から竹は全て伐り倒した。杉林の山はその中に入ると薄暗くて不気味である。島根の山へは私は結構頻繁に行くが、嫁さんも子供も気持ち悪がって近づこうとしない。何か重要なことや節目の時には私は島根の山に墓参りする。今回は技術士の最終面接試験もあるので。

 私が死ねば、誰もこの山に近づかなくなるかもしれない。これと同じ現象はどこの家庭でもあるのではないか。墓なんか作っても子供はどこに就職するか分からないし、誰も面倒を見てくれない可能性は高いのではないか。だから自分が死んでも墓は作らずに散骨してもらおうと思っている。まあ、それでも山の雰囲気を薄暗い杉ではなく、明るい雰囲気の自然林に代えれば、私の子供達も私が死んだ後にこの山に来易くなるかもしれないと考えて、小さい杉から伐り倒している。小さいといっても直径10〜20cm位のは伐り倒している。年輪を見ると約20年位経っている。20年と言うと祖父が植えたのではなく、植林した杉が育って、その種子で自然に生えてきたのであるから、伐っても良かろう。

 今回も島根の山に行きがけに手を振る少年を注意して探したが、いなかった。もう、いなくなったのかと思っていたら、帰りにいつもと同じ場所で手を振っているのを見つけた。少し肥満で歳はどれくらいだろう。時速50km/h位で走っているのでじっと見ている時間はない。学齢で言うと中高校生くらいかもしれない。

 彼は一生車に手を振って過ごすのだろうか。彼の親のことなども考えてしまう。親が亡くなったら彼はどうなるのだろう。彼自身は好きで車に手を振っているのかもしれないが。

 印象に残る彼の姿。彼の心の暖かさと社会の厳しさを感じるのである。

(2008年1月3日 記)

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